専門里親の猶原恵理さん、里親の経験を語る

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猶原恵理さん「愛情を注ぐことは尊いから、何人にでもしたいわ」

 

 

猶原恵理さんにとって子供を育てることは楽しいそうです。

常に将来を見据える即戦力になるものを探している方。

 

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街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜
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猶原恵理さんの生い立ち

小さい時に、島に集められているハンセン病患者の特集をテレビを見た。

「ここの先生になりたい」と思ったそうです。

他の人の育てられている環境とかに非常に興味があったそうです。

 

高校卒業後はOLになり、CADを習ったりしていた。

25歳の時に阪神淡路大震災が来て「人はいつ亡くなるか分からない」ということを実感する。

自分に何ができるのかを考えた時に、「子供を残せる」と思い結婚へ動いていく。

 

子供を一人出産し、その子が2カ月目の時。

ふとテレビを見ていたら「里親」の5分特集が目に飛び込んできた。

即座に児童養護施設に電話するも、その時は「自分のお子さんを大切に育てて下さい」と言われて電話をすぐ切られる。

 

絶対に里親になる!

 

とその時に決意する。

それが26歳の時。

 

離婚を経験し(本当は離婚したくなかったけど旦那さんは倒産)

就職をするも、子供が学校から帰るのを家で待っていたかった。

 

だから、雇ってもらうのではなくて、自営業でネイリストとか整体師として資格持っていたかった。

子供を中心とした生活をしたかった。

 

 

再婚した旦那さんは虐待されて育っていた

再婚した旦那さんは虐待をされて育ってたそうです。

その為、自分に対しての自己肯定感が低く、そして恵理さんに対しても厳しいことを言っていたようです。

 

なんだかんだありながらも、旦那さんは恵理さんの事が好きなので、

里親に理解を示してくれ、厳しい2年間の里親研修にも一緒になって参加してくれました。

 

 

乳児院で育った女の子を最初に受け入れた

最初に受け入れた子は産まれてすぐに乳児院に預けられた女の子。

発達障害のある2歳の女児を受け入れることになった。

(2歳の時点で発達障害というのが分かってたみたいです)

 

2歳の時点で、施設での生活が身についているらしく、

恵理さんのことをお母さんとは見ずに施設の職員のようにこの子は接していたみたいです。

今では発達障害が分からないくらい、友達にも恵まれて大きくなったようです。

 

 

2番目の子はダウン症の子を迎えたい

次の子を受け入れるのは最初の子が来て2年後。

ダウン症の子を今度は引き取りたいと考えていたようです。

 

これも審査が1年ぐらいあり、無事にダウン症の子を迎えることができました。

この子は音に敏感な子だったので、

本宅だと他の音が気になって寝れなくなるので離れを作ってそこを寝室にすることにした。

 

言葉は話せないんだけど、彼女の要望を感じるのが凄く楽しかった

恵理さんのご両親も育児に参加してくれていた。

 

みんなに愛情を注いでいるつもりではいたが、

最初に迎えた子が妹に嫉妬をして問題行動(お金を盗んだり、ボヤ騒ぎ)を起こすこともあった。

 

 

3番目の子はヤングケアラーの高校2年生の男の子

3番目の子はケースワーカーさんの方から話が来た。

 

進学校に通っている高校2年生の男の子。

突然、学校に「学校をやめます」と言いに来た。

そこで初めて問題が明るみになった。

 

母親はおらず、知的障害の双子の弟を特別支援学校の送り迎えをして、そして自分も学校に通っていた。

おばあちゃんは2週間に1回家に来てご飯を作っていくだけ。

ギリギリの生活をしていたヤングケアラーだったことが発覚。

 

学校でかかるお金の引き落としが問題なくされ、なおかつ本人は頭の良い男の子。

器用にこなしてたから(表立ってみた感じは)、彼の限界が来るまで問題に全く気づくのに遅れてしまった。

 

 

恵理さんの旦那さんは、やっぱりお父さんなので「うちには女の子がいるから、他の男の子とは一緒に住ませれない」とは言う。

 

でも、長女(当時高3)の方は「別に受け入れてもいいんじゃないの?」と理解を示していた。

 

信頼しているケースワーカーさんが「元気なお母さんを見せてあげて欲しい」と泣きながら言う。

(いろいろな場面を経験しているケースワーカーさんが泣くぐらいだから相当ひどい環境だったんだと思う)

それを感じ取った恵理さんは即座に引き受けることにする。

 

双子の弟のは行政が入り施設に保護。

 

 

その男の子が来てしゃぶしゃぶを始めてした時。

その男の子がお肉ばかり食べるんだそうで、なんでそんなに食べるかと思ってたら「しゃぶしゃぶを食べたことがなかった」と答えたそうです。

修学旅行に行った時もお鍋が出て「お鍋食べました」と報告してくれたりしたそうです。

 

 

一時は高校中退を考えていた男の子。

本人はやっぱり大学へ行きたかったようで、国公立の大学に進学、そして就職へ。

 

 

なぜ、街録チャンネルに出ようと思ったのか?

3番目の男の子が自死をしてしまった。

 

里親制度は基本18歳まで。

恵理さんはこの男の子の場合は大学を卒業するまで自分で見ていたいと申し出ていた。

延長されていた。

 

一緒に生活をしていてコミュ障があったので、何か疾患があるのかもしれないと疑ってはいた。

検査をして貰っても、この子はIQが高いので社会性の欠陥部分があると診断されなかった。

問題がないと診断されてしまった。

 

大学を無事卒業、里親も卒業、就職し24歳で自死。

 

その男の子の事があって、頼り、頼られる社会でありたい。

人の悩みに気にかけれる社会であって欲しい。

 

だから、街録チャンネルに出演した。

 

 

里親制度も難しくなってきた

愛情を示すのに里親の子供を抱きしめるにしても、思春期の子が「これはセクハラ」だと言えばセクハラになってしまう。

だから、子供に対して下手に触れなくなった。

 

虐待された子は自分をどれだけ愛しているか試し行動を起こすので、やっぱり恵理さん心が傷つくことがある。

 

3番目の男の子が亡くなって日も浅く、いろいろと難しいことが重なり、これからどういう方向性にしていくのか考えている最中だと話す。

 

 

「顔が似てないですね」と言われても「自分や主人にそっくり」と話す

血が繋がっていないので「お子さん、顔が似てないですね」と言われることもある。

 

そういう時は、どことどこが自分とご主人に似ているのかを話す。

「里親なので」とまとめてしまわない。

自分と主人にいかに似ているかを話す。

 

 

 

法人を立ち上げたのも里子がいつでも気軽に帰ってこれるように居場所を作ってあげたかったんでしょうね。

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